武舎広幸(H)と武舎るみ(R)は、二十数年前、たいして考えもせずに勢いで会社を始めてしまったのですが、一応社長になったHは、まあそれでも、会社経営に関して何冊かの本を読むぐらいのことはしました。その時に読んだ内容のほとんどはきれいさっぱり忘れてしまいましたが、ある書店で立ち読みした本にあった次のフレーズだけは今でも記憶しています。そのフレーズとは、「人生に無駄というものはない」というものです。
人生において「失敗してしまった、こんなことはやらなければよかった」と思うことは誰しもあるものですが、あとで振り返ると「その失敗があったからこそ次の失敗をせずにすんだ」と思うことは結構多いように思います。「前に無駄をしたことがあったがゆえに次の無駄をせずにすむ」というわけです。
ところで、この「無駄というものはない」というフレーズですが、話を翻訳に限ってみると、もっとピンと来ることが多くなります。つまり「翻訳にとって無駄というものはない」というわけです。もう少し言葉を補って「翻訳にとって無駄な知識はない」としたほうがわかりやすいでしょうか。
何が出てくるのかわからないのが翻訳という仕事の最大の面白さかもしれません。Hはスポーツが大好きで、野球にサッカー、陸上にテニス、ラケットボール、スカッシュといろいろかじったことがあります。このほか、自分でやったことはありませんが、アメリカンフットボールやラグビー、それにゴルフやスキーのジャンプなども大好きで、特に昔はよくテレビで見ていました。
たとえば、コンピュータ関連の翻訳をしているときでも、スポーツはよく登場します。「まるでアメリカンフットボールの第4クオーターのようだ」とか「カクテル光線に照らされた野球場の芝生のような鮮やかな緑」などといったように、とくにアメリカで大人気のアメリカンフットボールや長い歴史をもつ野球の話題は頻繁に出てきます。最初の表現はアメリカンフットボールの試合を何回か見たことのない方には、何を言いたいのかまったくおわかりにならないでしょう(アメフトの試合の最後のクオーターである第4クオーターは、時計がとてもゆっくりと進むように感じます)。また、2番目の表現は野球場にナイターを見に行ったことのない方には実感が湧かないでしょう。
英米人に映画好きの人は多く、コンピュータ関連の本にも、『スタートレック』や『2001年宇宙の旅』、スピルバーグ監督の作品などからの引用は頻繁に現れます。嫌いではないものの、スポーツに比べると映画に関する知識の乏しいHにとって、映画絡みの表現はなかなかの難敵です。ウェブで検索しても意味がよくわからない場合、映画が大好きで、昔からかなりの数の映画を見ているRにお伺いを立てると、あっという間に回答が得られることも多いのです(会社の「資料費」を使って、レンタルDVDを毎月何枚も借りているだけのことはあります...)。
コンピュータ関連の翻訳をしていても聖書やマザーグース、シェイクスピアの作品などからの引用は出てきますし、逆に小説やノンフィクションを訳していても、最近の作品ならばパソコンや携帯電話、インターネットの話が登場しない話のほうが少ないくらいではないでしょうか。
翻訳を本格的にやろうとすれば、程度の差こそあれ、誰でも「何でも屋」にならざるを得ないのです。そして、何でも屋になるためには、どうしても時間がかかります。
これを逆から見ると「翻訳をやるのに遅すぎるということはない」ということにもなります。人生経験が必ず役立つのですから、数年、いや10年、20年、始めるのが遅くなったからといって、あきらめる必要はないのです。
たとえば、長年会社勤めをなさった方が、定年を機に翻訳の勉強を始めたとしましょう。それまで仕事で得た知識は、優秀な翻訳者になるために大いに役に立つのです。仕事で英語を使っていたり、さまざまな文章を書いていたのならば、翻訳者になるための訓練をずっとしていたことにもなります。
子育てや介護のために費やした時間も、著者の気持ちや登場人物の気持ちを理解するのにとても役立ちます。
さて、「まかじき亭別館」で皆さんにお目にかかるのも今回が最後になりました。最後に、もう一度、次のフレーズを繰り返して、皆さんとお別れいたしましょう。
翻訳に「無駄」というものはない、「遅すぎる」ということもない。
今までお読みくださり、ありがとうございました。