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池田真紀子の「翻訳者の優雅な日常」 | 英語翻訳ならDHC総合教育研究所

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池田真紀子の「翻訳者の優雅な日常」

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池田 真紀子(いけだ まきこ)
プロフィール
上智大学法学部国際関係法学科卒。会社勤務を経て、94年よりフリーの翻訳者に。主な訳書にジェフリー・ディーヴァー『ロード・サイド・クロス』『ウォッチメイカー』(文藝春秋)、パトリシア・コーンウェル『スカーペッタ』(講談社文庫)、ジョシュ・バゼル『死神を葬れ』(新潮文庫)など。写真はペットの「もも」。仕事中はいつも膝の上で昼寝のふりをしながら、ゴハン・サプライヤーの勤怠を油断なく監視している。

Vol.12 Thank you.

以前、「簡単な単語ほど辞書を引きましょう」と書いた。平易な表現ほど、つい油断して誤訳しがちだからだ。
  その一方で、簡単な言葉/表現は「訳語の選択肢が多い」という、訳者にとっては熱烈大歓迎な側面も持ち合わせている。

たとえば「Thank you.」。
  これを毎度「ありがとう」と機械的に訳していてはもったいない。日本語には(英語にも、だけど)、感謝の表現はそれこそ数えきれないほどあるのだから。

面と向かって感謝を伝えるというシチュエーションに限定して、ぱっと頭に浮かんだものを挙げただけでも――

どうも ありがと 悪いね サンキュ
 (くだけた会話で。最後のは日本語とは言いきれないか。
  どのみち私はまだ翻訳で使ったことがない)

ありがとうございます 恐れ入ります 恐縮です
 (少しあらたまった感じ)

お疲れさま ご苦労さま お世話さま
 (相手をねぎらう場面で)

かたじけない ありがたや アリが十匹
 (ユーモラスな場面で使えることもある……かも。
  私はたぶん、まだどれも翻訳で使ったことがない。とくに最後のやつ)

文脈しだいでは、「Thank you」単体で、またはほかの表現と一緒になって、感謝どころか皮肉や当てこすりや非難に大変身を遂げることもある。そうなると、訳語で「遊ぶ」余地はますます広がって、訳者を狂喜させる。

ところで、いろんな候補がひしめくなか、狙いすまして投入すると絶大な効果を発揮してくれるのが「すみません」だ。
 英語で「ありがとう」を謝罪の言葉に置き換えることはまず考えられない。感謝と謝罪は、きっちり別物として扱われている。
 ところが日本/日本語では、感謝の裏に「お手数をおかけして申し訳ない」という感情がこっそり隠れていることが少なくない。だから「ありがとう」のつもりで「すみません」と言ったりする。それどころか、とっさの場面では「すみません」と言っている人のほうが多そうだ。

最近、「すみません」が実際に活躍したのは、あるミステリーのなか。犯人に監禁されていた高校生が、救出されたあと、救急隊員が飲み物を持ってきてくれたことに気づいて「Thank you.」と言うシーンだ。
 救急隊員はおとな。ここで高校生に「ありがとう」と言わせたら、ものすごく生意気な感じ。とくにこの少年はシャイな性格という設定だけに、違和感ありありだ。
 かといって「ありがとうございます」も、反射的に出たお礼にしてはいくぶん用意がよすぎる気がするし、「恐縮です」系などもってのほか。高校生のくせに背伸びしすぎ、かしこまりすぎ。

というわけで「すみません」。ちょっぴり控えめな、そして日本語訳だけに許されるであろう「すみません」。
 たった一言に、発言者の性格、相手との関係性などなど、「ありがとう」以上の、しかも文字数以上の情報を詰めこむことができる。なんて頼もしい訳語なのか。
 とはいえ、これはあくまでも秘密兵器。濫用すると威力が大幅に減じます。ご注意を。


 さて、この連載も今月が最終回となりました。
 1年間おつきあいくださった皆さんに、心から――Thank you!

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